ショボーンニュース情報局では
未だ未解決となっている事件・事故についての情報を
公開していきます。

今回取り上げたい未解決事件は長岡京殺人事件

 

 

事件発生日は1979年(昭和54年)5月25日
2017年で事件発生から38年経ちます。

 

なぜ、犯人は捕まらないのか?
どういった経緯で発生したのか…?

 

 

時は1979年(昭和54年)

京都府長岡京市で5月23日昼から山に
ワラビ採りに出た主婦2人が行方不明になる。

 

捜索を行った中、翌日25日午前

2人が山中で刃物で刺され
遺体となって発見された。

 

京都府警は殺人事件と見て捜査を開始!

 

殺害されたのは、

長岡京市内在住の会社員水野さん(40)の妻・恵子さん(32)

同市内に住む会社員明石さん(49)の妻・英子さん(43)

 

 

2人は長岡京市内のスーパーマーケットでパートとして勤めていました。

23日午前11時ごろ、早番の勤務を終えた後、
自転車に乗って同市奥海印寺の
通称西山梅林(標高200メートル)にワラビ採りに出かけた。

 

24日になっても帰宅しないため、
2人の夫が向日町署に届け出をした。

署員50人と消防団員50人や
警察犬も使って山狩り捜索を開始。

 

その結果、25日午前10時半、
家から3キロ離れた同市光明寺の裏山で2人の遺体を発見!

 

京都府系捜査一課で遺体を調べたところ、
水野さんの左胸に包丁が刺さり、2人とも着衣が乱れていた。

このため同課は、2人は刃物で誰かに殺害されたと断定し、
向日町署に捜査本部を置いた。

 

2人が殺害されていた場所は標高200メートルの雑木林内で、
水野さんは頭を斜面の上に向け下半身は着衣が脱がされていた。

明石さんは水野さんから10メートル離れたところで倒れていて、
首を紐で絞められ、胸に数カ所の刺し傷もあり、
下半身の着衣が乱れていた。

 

捜査本部は、2人が複数の男に襲われ乱暴された後、
首を絞められ、刃物で刺されたと見ている。

 

2人の自転車は24日午後
西山梅林入り口の畑で、2台ともそのまま放置されていた。

 

こんな事実も…

現場付近の山林内の道路を暴走族がたびたび走り回って
いたという情報を得る。

同本部は暴走族の不良グループに襲われたかも
しれないと見ていた。

 

警察は事件後、当初は単独犯による犯行と見ていたが、
複数犯の犯行である可能性も見ていた。

 

死亡した1人が持っていたメモにより単独犯による犯行で有ると断定!

 

明石さんの遺体のジーパンのポケットから

「助けて」

「オワレている たすけてくださいこの男の人はわるい人です」

 

とスーパーのレシートに走り書きしたメモを発見。

 

このメモは仰向けになって殺害されていた
明石さんの薄青色ジーパンの右ポケットに
くしゃくしゃに丸められて入っていた。

 

パート先の「いづみや長岡店」のレシート
(幅4.5センチ、長さ9.5センチ、5月21日の日付)
の裏に鉛筆で走り書きされており、
筆跡鑑定の結果、明石さんの文字と断定した。

 

タテ書きで3行で書かれており、
ひらがな、カタカナ、漢字が混じり、字は乱れていた。

 

また、「たすけて」の「す」の字は「く」の
上に二重書きしたうえ、更に「す」と書き加えている。

 

 

こうしたことから、捜査本部では明石さん
はレシートを手のひらに隠すようにしながら、
急いで書いたものとみている。

 

また、メモの内容などから、
明石さんは犯人が水野さんに包丁を突きつけながら
乱暴している間に走り書き、一旦ポケットにしまい込み、
助けを求めるためどこかへ捨てようとしていた時に
襲われ殺害されてしまった。

 

捜査本部では、2人の主婦が同一現場でほぼ同時に殺害されている
状況から、犯人は単独犯なのか複数犯なのか決めかねていたが、
明石さんが助けを求めるメモを書く時間とスキがあったことから、

犯人は1人

 

まずは水野さんに包丁を突きつけ明石さんに
「逃げたら、こいつ(水野さん)を殺すぞ!」

と脅し、水野さんに乱暴をして殺害。

 

この後、恐怖のあまり現場に座りこんでいた
明石さんにも肋骨を9本も折るなどの暴行を加えた上に
首を絞めて殺害したと断定した。

 

 

捜査は難航した…

 

遺留品は先のレシートと犯行に使用された包丁のみ

岐阜県関市で作られた約7万本の中の1本
とみられているが、販売ルートは不明。

 

その後は大きな進展がなく数年の歳月が経過した。

 

残酷極まりないこの謎多き事件ですが、

結局、有力な手がかりも得られないまま、
1994年5月24日に公訴時効が成立した…。